杉並区議会 平成29年度 第4回定例会 一般質問/井原太一 (平成29年11月16日)
杉並区議会自由民主党の井原太一です。
会派の一員として、通告に従って、一般質問をいたします。
質問項目は、
日本語教育の大切さについて
であります。
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言葉の乱れ、特に若者の間での言葉の乱れが指定されるようになって、久しくなります。
以前は「ら」抜き言葉であったり、敬語の使い方ができていなかったり、・・という指定がありましたが、特に最近では、文章の構文が出来ていなかったり、使用する単語が極端に少なかったり、言葉自体がぞんざいになってきている、という話を聞くようになりました。
電車の中では会話がなく、視線は皆スマホに注がれ、スマホ画面のLINEのやり取りは、もともと短文や片言言葉が多いなかで、スタンプも使わなくなり、頭文字の一文字だけで単語や文章を表わし、それが行き交いする。
一方で女子学生の会話は、荒ぶれた男性さながらに語られる。
いったい、私たちの言葉はどこへ行ってしまったのかと、考えてしまう場面が増えました。
OECD(経済協力開発機構)が行う国際的な生徒の学習到達度調査「PISA」によって、調査が開始された2000年以降、日本の子供たちの特に「読解力」の項目における学力低下の著しさが明らかになりました。2000年調査では8位だった順位が、03年には14位、06年には15位と、3回連続で下がり続け、その後、学習指導要領が改正されたことも功を奏したのか、2009年調査からは読解力の平均点が上昇に転じ、2012年調査では4位まで改善しました。
ただ、改善したとはいえ、学校の授業だけで養われる国語力には限界があり、家庭での国語力を養う環境の度合い、個々の事情から子供の学習に時間や手間、費用の違い、などから「できる子」と「できない子」の二極化はむしろ進行している、という指摘も一部でなされています。
「国語力は、算数、理科、社会、英語、すべての科目の基本となる力である」とよく言われます。
本を読むにしても、問題を読み・解くにしても、国語が出来なければ、その投げかけられている意味すら理解できません。
さらに「声かけメソッド」を提唱している小川大介氏は、実は「国語が基本」なのではなく、「国語と各教科は相互作用の関係」にある、すなわち他の教科ができるようになれば国語も伸びるし、国語力がつけば他の教科もできるようになる、と述べています。
さらに、小川氏は、
「国語力」イコール「作文力」「読解力」あるいは「語彙力」や「漢字書き取り」ではない、
国語力とは、
1.情報を発見する力
2.情報を整理する力
3.適切に表現する力
の3つの力である、と主張しています。
この力は、学校の勉強だけではなく、生きて行く上での、他のいろいろな場面にも応用が出来ます。
この「国語力」をつけるには、
1.人間社会に関する知識が必要である。
世の中のことを知らないと、どんなに文章を読んでも理解することはできません。世の中にはどんな人がいてどういった構造で成り立っているのかという、人間社会に関する基本的な知識を養っておく必要があります。
2.二元思考を身につける。
「今日はよく晴れた」という文章には、「昨日までは天候がよくなかった」という裏の意味が隠されています。つまり、「今日」と「昨日まで」という2つのことがらを対比させることによって、文章に書かれていない意味や表現を読み取ることができるのです。文章を理解するには、このような「二元思考」を身につけることも不可欠です。
3.書いてあることを映像化する力を持つ。
文章を読んで「よくわかる」ということは、文章に書かれている場面を頭の中で思い描けるということ。物語文だけでなく、説明文や算数の文章題を読むときにも必要とされる力で、子供がものごとを理解するのにとても大きな役割を果たします。
4.ボキャブラリー(語彙・言葉数)を増やす。
知っている言葉の数が豊富な子は、文章の中に存在するさまざまな引っかかりや微妙な差異に気づきやすいもの。その分、考えるきっかけを多く持つことができます。
が必要だと述べられています。
これらが国語力とお互いに関係性がある。
また、国語力のある子は「おしゃべり」も上手です。
会話の中から、相手の言いたいことがわかる。相手の主張と自分の思いを対比させて、違いや共通点を見つける。整理した自分の考えを、相手にわかりやすく話して伝える。という力が身についているので、会話のキャッチボールを上手く成立させることができるのです。
会話のキャッチボールはコミュニケーションにとって欠かせない能力。つまり、国語力こそがコミュニケーションの土台となります。
このように、述べています。
また、人が論理的思考をするときには、その根底には言葉、母語(母なる言語)があります。
すなわち日本人であるならば日本語がきちんとできないと、論理的な思考ができにくい、論理的な思考をなかなか育てられない。
科学は論理的考察の上に成り立ちます。ものを作り出す時もそうです。そして、他人を説得するにも、世界で活躍するにも、ものごとの論理的な思考ができないと、苦労することになります。
さて、話しが広がりましたが、要するに、日本語力を高めることは、単に学力を向上させるだけでなく、人としての生きる力を高めることにもつながっているのです。
私たちは、ご家庭も、学校も、地域も、行政も、議員も、皆で力を合わせて杉並区の子供たちを育て、この子たちには幸せになってほしいと願っています。
この子供たちが、大きくなって、その内容は様々であっても、しっかりと自分の道をみつけ、しっかりと働き、時には世界の人たちとわたりあい、しっかりと家庭を持ち、子供を育て、しっかりと生きて、この「ふるさと杉並」を引き継いでくれる子供たちに育ってほしいと願っています。
そのために、もし今失われつつある「日本語」が必要であるならば、私たちは、これを取り戻さなくてはなりません。
そこで、伺います。
Q1 若者の言葉の乱れ、読書離れ、国語力や読解力の低下などが叫ばれていますが、言葉の教育に対する区の見解と、学校教育での取組を伺います。
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ところで、いくら教科書や指導内容がしっかりしていても、現場で子供たちに教えている教員の言葉が乱れていては、元も子もありません。
実は、そのような指摘を受けました。
子供たちは、毎日学校生活の中で、教員と接しています。この方たちは、言葉の上、礼儀の上などで、常に見られています。ですから、大変かもしれませんが、生活の中で見本とならなければなりません。
そこで、お尋ねします。
Q2 教員がきちんとした日本語を話していないという指摘もありますが、教育委員会では、教員に対し、どのような指導・育成を図っているのでしょうか、伺います。
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現代っ子の「国語力低下」の要因について、先の小川氏によれば、つぎの3点が指摘されています。
1.子供が触れる言葉の数が減っている
一説では、小学校から大学の4年間を終えるまでに触れる日本語のボキャブラリーは、40年前のわずか3分の1程度と言われています。これでは、長い文章や難しい文章を読めない子が多くなるのもうなずけます。それに合わせて教科書内容のレベルも下げてきた結果、公教育で得られる国語力は昔よりはるかに低い状況にある、と指摘されています。
2.携帯電話やインターネットの普及
短い文章での表現で事足りるようになった結果、長い文章が読めなくなったり、主語と述語が整った長い文章を書く力がなくなったりしています。こういう子はすぐに「わかんない」「面倒くさい」という言葉を口にし、国語力も育ちません。また親の世代の国語力も揺らいできている、と指摘されています。
3.核家族化や少子化、地域社会とのかかわりの希薄化
子供を取り巻く社会環境の変化も見逃せません。国語力は、人と話し、触れ合い、交流することによって高められていくものです。親だけでなく、おじいちゃんやおばあちゃん、兄弟姉妹など、多くの人と接触することで表現力が豊かになります。国語力は周囲とのかかわりの豊富さに直結しているのです。
子供たちの国語力低下を深刻に受け止めるべきだ。そこで、お母さんやお父さんの、家庭での子供への接し方が重要となる、と指摘をされています。
普段の生活の中で、いかに子供たちに言葉を投げ掛けているか、そのような機会が多いか、が大切なことである訳です。もちろん、正しく言葉が使われての話ではあります。
ところで、日本語という「言葉」の面からみたときに、日本語の特長として、心理表現が非常に豊かであること、また漢字を使うために様々な表現、心理描写ができる、豊かであることも、その特徴として挙げられるのではないでしょうか。言い換えれば、感性が豊かな言語である、ということです。そして、日本語の感性は、文字からばかりでなく、音からも発せられます。
考えてみれば、あたり前の話かもしれません。言葉は、人間の為にあり、その人間は喜怒哀楽の感情を持った存在である訳ですから、言葉の背後にも、喜怒哀楽などの感情がある。
「うれしい」という言葉には、「うれしい」という沸き立つ気持ちがあり、そこからは、うきうきとした声が聞こえてくる。それが言葉です。
その言葉と感情とのつながりは、私は、はじめに他人の肉声から学び取るもの、と思っています。
まだ言葉を知らない子供が、赤ちゃんのころから、耳から入って来る他人が話す言葉に、人の感情が宿っていることを感じ取って行く。
その積み重ね、経験の中で、今度は文字からだけでも、その感情を呼び起こして、文字の背後にある感情を感じ取れるようになる。何も経験がない者が、いきなり文字から感じ取れと言われても、何を感じ取ったらいいのでしょうか。
SNSやバーチャルな世界から感じ取れるものではない。
言葉には力があると言いますが、人の肉声には力があります。大声で怒鳴られたら、ちじこまってしまいます。リアルな生の人の会話を聞く、触れるということが大切。
小さな声、優しい声、悲しい声、大きな声、怒った声、それらを聞いて行く中で、子供は言葉に関する感性を身に付けて行く。
これらの言葉に対する感性は、小学校に入ってからではなく、乳児期から幼年期にかけて、小さい時に培うべきだと考えます。
日本語の特長について調べてみると、興味深かったことは、日本語は論理的記述に適した言語のトップ集団に位置する「論理的な言語である」と外国の言語学者は指摘しているとのことです。
子供たちには、形の整った日本語、感情を背負った「美しい日本語」を、小さい時にたくさん聞かせてあげて欲しいと思います。
それが、日本の文化、日本人の心を伝えることにもなります。
そこで伺います。
Q3 幼児期から美しい日本語に触れ、言葉の感性を身に付けることが大切だと考えますが、子供園等では、こうした教育をどのように進めているのか、伺います。
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また、
Q4 教育委員会では、区立子供園を教育課題研究指定園に指定して、幼児教育の研究を進めていますが、日本語教育をテーマとした研究を考えているのか、伺います。
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さて、
本日の質問の中で、国語力を高めること、日本語に対する感性を養うこと、そして幼少期での家庭教育の大切さ、とまで話を進めています。
ご家庭で、乳幼児期に子供とどのように向き合って行ったらよいか、これは「ゆりかご面接」、定期健診や訪問事業などの折々で、お話しをしたり、ご相談を受けたりしていることと思います。
ところで先日、このような新聞記事が目に付きました。
「0歳児の20%が毎日スマホ」
これはある民間シンクタンクが、この3月に首都圏に住む生後6ヶ月~6歳児がいる母親3400人に対して行ったアンケートの結果です。
スマホを使う場面は様々あり、止むを得ない場合もあるのかな、とは思いますが、先程から申し上げている通り、幼少時におけるリアルな体験は大切です。
同じ遊ばせておくにしても、画面に映るデジタルの世界ではなく、例えば回ったり、風に揺らいだり、押したり、触ったり、アナログのおもちゃから子供がその発達課程において受け取る学びは、大きいものがあります。
また、カリフォルニア大学アーバイン校のTallie Z.Baram博士は、その研究のなかで、スマホに気を取られている母親に育てられた赤ちゃんは、“脳の発達が阻害される”と警鐘を鳴らしました。脳のニューロンネットワークは、母親の一貫したケアによって成長していくが、母親が度々スマホのメールチェックなどで気をそらせると、赤ちゃんは母親の次の行動が予測できなくて混乱してしまい、堅固なネットワークが築きにくくなる。その影響は、実は幼児期ではなく、大人になってから薬物依存になったりうつ病を発症したりという形で表れてくる、というのです。
これから、さらに様々な研究、学説が出されてくるでしょうが、赤ちゃんの愛着形成にも関わる問題であり、育児生活の中でスマホをどのように使うのか、これを考えない訳にはいかないでしょう。
そこで、最後に、
Q5 乳幼児期から、長時間スマホを見せる親が増え、その弊害が指摘されていますが、教育委員会では、どのような家庭教育等の取組を行っているのか、を伺って、私の質問を終わります。
ありがとうございました。